ひろさんのココンところ

いまだ人生に惑う事ばかり

その日は朝から

何日か前に、あるYouTube動画で芥川龍之介の『蜜柑』が取り上げられていた。

この作品は「明るい芥川作品」として有名だが、この作品が元々、『私の出逢った事』という題名で発表され、後に『蜜柑』と『沼地』という作品に分けられたことを知っている人は意外と少ない。僕はたまたま昔、新潮文庫で注釈を読んだら書いてあったから知っている。ただ、この対照的な作品が一つにまとまり得るのかずっと謎だった。

その事を朝ふと思い出して、読み返そうかと青空文庫で探したら、『沼地』の上の行に、『沼』という作品があるではないか。そっちは全く記憶になかった。

『沼地』の話はいずれまた別の機会に譲るとして、『沼』である。

すごく短い話だったのであっという間に読めたのだが、非常に気になる小説だった。芥川作品は、読む時間より読後の余韻の時間の方が圧倒的に長い。文豪とはそういうものなのだろう。ただ、面白かった事は間違いない。

そこで、誰かの書評がないか検索したら、面白い考察をしているブログを見つけて、大変堪能したのだが、文末に名前が書いてあって、あれ、見たことある名前だなと思ってよくよく考えたら、僕が学生時代、いや、卒業してから就職浪人している間にも講義に出席していた教授ではないか!

調べてみたら、もう大学も退職されて名誉教授という事らしいが、ブログで記事を上げているとはなんとアグレッシブな事か。

まぁ、僕は学科違いなんで無関係な先生なんだけどな。

そのブログが先生の個人ブログなのか複数執筆者がいるのかよく分からない、というのが、先生の名前が文末にわざわざ入っている記事と書いていない記事が混ざっていたからだが、他の記事も夏目漱石だったり色々面白そうな内容だった。

朝から色々と面食らってしまったという話。

 

朝から。

 

そう。

恐ろしい、と思うのは、青空文庫を検索し始めてからのこの一連の話が、朝6時に目が覚めて、目覚ましが鳴る6時30分までに起こった事である、という事。

文学について、実はここのところ色々思うところあって、一人で思考しているのだが、その前に自分の無知をこれでもかと思い知らされる毎日である。

それとともに、くだんの教授みたく、いくつになっても、自分の好きな事に対する思索は続けていきたいものだと思う。

たといそれが思索などよりよほど妄想に近いものであったにしても。