ひろさんのココンところ

いまだ人生に惑う事ばかり

Dr.STONEのアニメが終わった

ついに完結した。Dr.STONEである。

いやはや長い道のりであったなぁ。

どうなることかと思ったけど、全話きっちり完走した。

クイズノックでコラボ企画やってたのが最初のきっかけだったのだが、それが第二期始まる前、そこからアニメを観始めてマンガ買い揃えて、マンガ最後まで読んだ上で、これアニメ最後までやんのかな、と思いつつ観てた。結局やり切ったスタッフの皆さんに感謝しかない。

あんなに鼻につく、耳障りな口癖のキャラだらけなのに、気がつけば皆好きになってんだからとんでもない作品だわ。「百億パーセント〇〇だわ」が口癖の主人公とか「ゴイスーでドイヒー」が口癖のサブキャラとか「ちゃんとしてますね」が口癖の敵キャラとか、挙げ句の果てに「ハッ!どうせ〇〇の事だ。〇〇とでも言うのだろう」みたいなのが口癖のヒロインとか、厨二臭すぎだろう。

多分今まで観た数多の漫画の中でもトップクラスに絶望的なシチュエーションからの、全編全て諦めずに全力で困難に立ち向かう、弱音を吐く暇さえ与えないくらい実直に一歩ずつ積み上げていく姿は、最高の少年マンガであった。

ずっと最高傑作は『うしおととら』だと思っていたが、もしかしたら塗り替えたかもしれない。

そんな作品のアニメを最終回までリアルタイムで追いかけられた事に幸せを感じている。

 

いやはや、面白かった。マンガ何回も読み返してるが、また読み返そう。

子供の感性はすごい

たまたま、尾崎放哉の俳句の本を読んでいたら、6歳の娘が勝手にその本を読んで、「『咳をしても一人』は悲しいなぁ」と言った。

スゲェなお前。

確かに改めて考えると、この句は放哉自身が詠んだなら、肺結核、不治の病で苦しんでる孤高の俳人が浮かび上がるが、仮に小学生が詠んだなら、風邪で学校休んで1人寝室で寝ててする事なく、外から下校してきた子どもの声が聞こえてきて、今日一日何をしていたんだ、と悲しい気持ちになる、みたいな情景が見えてくる。

寂しく小さく、ケホ、と咳する子供を想像するといたたまれなくなる。もしかしたら肺結核より想像しやすいだけリアルかもしれない。本当は放哉が抱えていたほど深刻ではない孤独でも、子供にとっては永遠に近い孤独を感じるかもしれない。なんなら、誰もいない家で雨や風の音、廊下がミシと音を立てたりしたら恐怖すら感じるかもしれない。元の本意とは違うが句として成立する気がする。

 

娘の感性を通して改めてこの句の持つパワーを感じた一事であった。

これを世間では、親馬鹿と呼ぶのであろう。

自分だけの時間

久しぶりに朝から自分だけの時間があった。と言っても昼過ぎには子供を病院に連れて行かなきゃならないから完全なフリーではないのだが。

 

その時間をどうしようか考えて。

f:id:hirosan163:20260526195814j:image

映画観てきました。

迷ってはいたんですが、迷うくらいなら行けよ、という事で。

 

久しぶりに三宮へ。

先に、阪急8階に向かう。有隣堂書店へ。来たい、と思いながら来れてなかったんだ。今更言い訳みたいだが、今ほど有名じゃない時点からYouTubeチャンネル登録してたんだよ、僕は。ホント今更だな。本社のボロボロのエレベーターを紹介してた頃からずっと観てるんだが。

まぁいい。重要なのはパッと入って欲しくなった本が5冊くらいあり、流石に考え直して2冊買ったこと。陳列が僕好みで心地良かった。売り場面積はさして広くないのだが、ちょうどツボに入る感じ、素晴らしい。また行くわ。

そして、国際ホールへ。

なんか列整理してて焦ったのだが、どうも演歌のイベントがあったらしく、お年寄りの長蛇の列。そりゃそうだよ、パトレイバーの層じゃないよな。そう思いつつ、いやしかしパトレイバーどんぴしゃ世代は僕より上のはずだから、大概お年寄りかも、とドキドキしながらエレベーターで11階へ。11階はお年寄りで溢れていた。

キャ!となった。チケット売り場でクレカ決済出来ずマダムが喚いて店員を困らせている。ついてきている紳士も喫煙所がないと喚いている。まだ何もしてないが帰りたくなった。

幸い、お年寄りは別スクリーンでライブビューイングされる歌舞伎に用があったらしく、パトレイバーはガラガラだった。

観てきましたよ。

そもそも今回観ようと思い立ったのは休みがあっただけじゃなく、スタッフが見慣れた人達ばかりだったからだ。出渕裕、伊藤和典、川井憲次、高田明美、ゆうきまさみ、押井守などなど。声優も若い人に混じって千葉繁、古川登志夫、林原めぐみなどなど。エンディングが永井真理子だし。オールドファン相手って感じで安心して観れそうな気がしたんだ。そして、3話構成で80分、という上映時間。これが多分最大の要因だと思う。オジサンは2時間じっと座ってるのは苦痛なのよ。

果たして内容は。。。

まぁ、うーむ、という感じ。デジャヴ、というか、いや確実にかつて観た内容だよ。ちょっと今っぽい小道具(スマホやドローン程度)が出てくるだけで、安心安定の特車二課だったわ。出てくる人は違うけど、進士や太田は出てきた。

多分、観ても観なくてもどっちでもいい内容だったと思う。そして、多分8月にまた続きを観に行くと思う。あー、面白かった!とは思わないが、これで良いのよこれで、と思う自分がいる。

最後、劇場が明るくなって振り返ったら見事にお年寄りばかりだった。へ、へ、へ。

 

後はブラリ古本屋に寄ってCD2枚買って帰った。

見事に30年前と変わらない行動である。

これはこれで悪くない時間の使い方であった。

 

また一人、逝ってしまった【東海林さだお】

東海林さだおさんが亡くなられたそうだ。88歳。

エッセイのマンガのイメージが強いから若いと思っていたが、そうだな、それくらいの年だな。

 

僕は高校生くらいの時から長らく東海林さだおさんの『⚫︎⚫︎の丸かじり』シリーズを延々と買って、文字通り貪り読んでた時期がある。

釜飯が恥ずかしい、とか、アジの開きがかわいそう、の次のページが、だから食べてやりたくなる、と書いてあったりとか、トンカツは鼻息が荒くなる、とか、もう本当に大好きで、何回も読んだし真似して日記書いたりもした。僕にとっては村上春樹より東海林さだおを習作する方が楽しく文章を学べる気がしていた。

 

大好きだった。

エッセイ系で好きな作家の、多分一番だと思う。ここ10年くらい読んでなかったが実家に戻ったら何冊かひっつかんでこようと思う。

こんな機会でもなかったらまた読む気にはならんだろうし、な。

また一人、逝ってしまった。

 

と、これを書いていたタイミングで祖父江慎が亡くなった情報が入ってきた。SNSで僕がフォローしてる漫画家さんたちが軒並みコメントしてた。僕も、とり・みきをはじめ、好きな作家を通して祖父江慎の仕事っぷりに感銘を受けてたし、印刷の仕事してたからブックデザイナーの知り合いもいて、興味ある方だったが、今回、「え、これも?」ってのがいっぱいあった。

早すぎるわ、逝ってしまうのが。

地元の古本屋に行った話

最近事情があって月一くらいで実家に帰っている。もともと二、三ヶ月に一度は帰っていたが、嫁も子供も一緒だから自分の都合では動けないのだ。

まぁ用事があって帰っているのでさほど自由ではないが、帰りの道中で少し寄り道するくらいの時間はある。

こないだ、少し無理して実家の隣の市の昔からある古本屋へ行った。

入った瞬間、昔の本屋独特の何とも言えない匂いが鼻についた。最近嗅いだ覚えのない独特の、ホコリ臭さと何かの酸味の混ざった、慣れ親しんだ人間だから大丈夫なだけなのか、不快ではなかったが気になる匂いだった。

店内は、本の並びが異様に雑。探しにくすぎる上、愛が溢れすぎてるのか愛がなさすぎるのかジャンルでも出版社でも五十音でも並んでいない本棚。客のせいかもしれないが、とにかく並びが雑。

CDはなにせ安かった。そして変なラインナップだった。僕はこの店で25年前にセックス・ピストルズの『THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLE』を980円で買ったことを思い出していた。

今回、3枚購入した。その中で特筆したいのがこれ。

『ドレッド・ツェッペリン:天国への階段』

f:id:hirosan163:20260318172612j:image

調べたら意外と有名? 僕は知らなかったが、結構動画出てくるわ。概要としては、太ったエルビスのモノマネタレントがレゲエ調にツェッペリンの曲をやるっていう、、、ハハ、なんやそら。

実際に聴くと、言うほどレゲエではなかったのだが、まぁ、ほのかに永遠の詩、とか、ほのかにミスティマウンテンホップ、とかなだけで楽しい人には楽しい。

謎なのは、Stir it up が入っていた事。ボブ・マーリーの名曲だが、何故これが?

白の絵の具で重ね塗りしたような薄味のレゲエだった。

全体的にネタ感満載の一枚で、結果的に楽しめた。

 

今回行ったこの店、僕が中学くらいの時に今の店名に変わったはずなんだよな。前の店名の頃に赤川次郎や宗田理を買い漁った記憶があるんだが、考えてみると30年前か。

自分のやってる事がまるっきり変わってない事に後悔はないが苦笑いがこみ上げる。

地元を離れて15年以上経つか。随分色々変わったがもしかしたら案外街は変わってなくて、一番変わったのは赤川次郎や宗田理を読まなくなった自分かも知れない。

 

 

マジでどうしたらいいんだよ(~_~;)

今まで何回も書いたことのある話だが、このブログでは初めてだと思うので書く。

散髪屋が苦手だ。

いや、もっと正しくは「どうしましょう」と聞かれるのが嫌すぎるのだ。

そもそもファッションに微塵も興味がなく、ボサボサの毛を切って欲しいだけなのだが、なかなかそれが通らない。

短くカットして、と言えば、もみあげは?眉の下は?と、やたらうるさい。適当にしてくれて構わないんだよ、モヒカンやスキンヘッドになってなきゃ。眉の下を剃らないでくれ、って言う奴は何のつもりだよ。もみあげはギリ分かるけど、しゃらくさいわ。

「全体的に短めにして」でしばらく通じたと思ったら「前髪は?」とか聞いてくる。

「後ろを刈り上げて後は全体的に短めで」、これでしばらくは通じていた。やっと、心穏やかに過ごせると思っていたんだ。

が、今日の店員は更にややこしかった。「刈り上げは何ミリで?」ときやがる。よく分からんので普通にしといてください、というと、「大体普通は6mmくらいにしますけどね」とか言ってくる。いや、何ミリがあるか知らんし、そんなもんなんでもえぇわ。

「前に髪切ったの1ヶ月くらい前ですか?」と更に聞いてきて、先月ここに来たわけじゃないのに、と思いながら、あぁ多分そんくらい、と答えたら、その時くらいの長さでいいですか、と言うんで、じゃあそれで、と答えたが、そっから適当にバリカンで刈られただけ。じゃあ何で聞くねんホンマ。挙句、鏡で首の後ろ見せてどうですか、って決まり文句言われるんだけど、ここからどうにか出来たりすんのか?

結局それで終わりだったんだけど、僕の顔は切った髪の毛まみれだったんだよな。これはこれでいいんかい?

今日の店員、感じ悪いな、っていうのもあるんだけど、なんか毎回ストレスなんだよな。

散髪屋が安さ競争するようになってだいぶ経つが、安い散髪屋行く客にいちいちオーダー伺う必要なんて無いと思うんだけどなぁ。1500円のカットに眉下のミリのカットにケチつけるかね。

ふぅ。

何が嫌ってこんだけ色々言っても1〜2ヶ月したらまた行かないといけない事だ。

マジでただ髪切るだけなんだからすんなり終わらないものか。

読書について思う事

今、大体平均すると漫画も小説も新書も全部含めて月に3冊くらいのペースで読んでいる。この2年くらいの統計だからまぁ割とリアルな数字だろう。気が向かない時は全然読まない月もあるから、こんなもんかな、とは思う。

いっぱい積み本があるから、なんとかいっぱい読みたいとは思うんだが、遅々として進まない。

そして最近、今更ながらに気づいた事がある。早く読んではいけない本もある、という事に。

学術書の類は、自分の知識と理解度の低さから読み進められないものもある。そういうのはもう、分かるまで何回も同じ行を読み返し、wikiで調べ、図鑑を出してくる時もある。理解が追いついた後でもう一度、元の本に戻って数行前から読み直す。時には注釈の意味がわからず、注釈の内容を調べてさらに沼にハマる事もある。

そういう、自分の知識のなさゆえに読めない本とは別の意味で読めない本がある。

句集や詩集である。

その手の本には大量に句や詩が入っているが、全く読み終わらない上に、読み終えても全く読み終えた気がしない。

僕は萩原朔太郎が好きなのだが、一冊きちんと読み終えた覚えがない。谷川俊太郎だったりゲーテだったり種田山頭火だったり、色々持っててもだいたいは好きな一節をペラペラめくりはするが読破した記憶がない。最近読んだ評論に大量の俳句が載っていたのだが、ずらっと10句くらい並んでいるのをみて、一個ずつ味わわないといけないのか、と思うとゲンナリした。その本は評論だったから句集以上に大変だった。味わった後で本文にあたらないと主旨が何も分からないのだから。

本の種類によって、読み方は色々あっていいんだな、と思った。

書きながら思ったが、なんなら「ここまでしか俺は読めなかった」という本も、「何回もこの一行だけ」読む本も、「ただ飾るだけ」の本も、それはそれで何らかの機能を果たしている以上立派な本との接し方なんだろう。マルクスの資本論を読まないのに持っている、という昔の大学生、といったらそれだけでキャラが立っている。「自分にとっては広辞苑なんてマクラだ」とかいうのもありかも知れない。ポール・オースターの『ムーンパレス』で本の入った段ボールを並べて家具にする話があったな。本が読み終わると売りに行くからベッドがテーブルになり、どんどん無くなっていく、という話だった。

とは言え、やはり本は読むものである。読みにくい本はある、何度も同じところで詰まる本だってある、早く読むことが正義ではない。そうやって自分を甘やかしながらも少しずつ読書していきたい所存である。

誰に強要されたわけでもないのに読めない理由を探してる自分が情けない。