この前積読の話を書いたが、僕には最初だけ読んだ本や最初だけ聴いたCDも多い事に気がついた。飽きっぽい性格が災いしての事だが、結果として積み本が増える事の要因にもなっているのだろう。
だが、その副産物として、知識の数珠繋ぎが偶然、しばしば起こる。あぁ、この話はあの話と繋がるのか、となった時の興奮は他ではちょっと味わえない。
つい先日もこんな事があった。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が版によってオチが違うと聞いて、実家にあった文庫を引っ張り出してきたら、その本の最初が「やまなし」という有名な作品で、内容忘れてたから読み返した。その数日後、妻から勧められたマンガが「カワセミさんの釣りごはん」というのだが、主人公の名前がまさに「やまなし」からとっているらしい事が8巻に書いてあった。このマンガの主人公の学校の先生にシャーロキアンがいるのだが、たまたま最近新潮文庫で「ホームズの帰還」を買っていたことを思い出し、あぁそっちも読まないとな、と思って読んでるうちに、この前発売になった「黒博物館」のアーカイブに近代の、猟奇殺人を娯楽として享受し始めた英国人の話を思い出し、そっちも読み返してみると、昔読んだ「ミステリーの社会学」という新書を思い出して、今ならあの本がちゃんと読めるだろうか、と・・・。
・・・・・・
お気づきだろうか。
いつの間にか、一度読み終わった本を読み返している事に。
そりゃ、積み本が無くならないわけだよ。一冊読んでる間に何冊も読み直しが挟まってくるんだから。
ちょっとかじりの本の中にも一回読み終わったのに忘れてて改めて読んだら、既視感ハンパなくて、調べたらかつての自分が結構な熱量で感想文書いてたりしてビビる時が時々ある。ただ、自分は信用ならない人間なので、当時ちゃんと最後まで読んだのか、読んでないのに読んだフリして感想書いたか、それすらも怪しい。
そんな読書の仕方を、もう何十年も続けているのだ。迷路、もしくは沼にはまってしまっている感覚である。
せっかくだし、積み本、積みCDを正しく消化する事にこのブログを使っても良いかな、と思うこの頃である。