ひろさんのココンところ

いまだ人生に惑う事ばかり

積み本を崩す:その1 「猫に時間の流れる」保坂和志

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何故かふと目に入って本棚から取り出したこの本は、多分、昔読んでいる、はずなのに、全く記憶に残っていなかったのだが、数行読んでも全く既読感がなかったのと、テーマが気になる内容だったから、最初から読んだ。たまたま結果的に今年最初に読み切った本になった。

この本は、表題作と「キャットナップ」という二編で出来ている。学生の頃、この人の作品が面白い、と思った感性それ自体が懐かしい感覚になってしまった。それは僕が20代、30代をサラリと経過して今に至ってしまったからで、あの頃重要だった事が全く大したことない事になり、この作品たちが、恐らく殊更意識的に性描写や仕事や生活の描写をしないようにしていて、その試みというか意欲それ自体が、ぶっちゃけ今の僕にはどうでもよくて、ただただ

「あの頃の僕にとって重要だった文学」がある事がこっ恥ずかしかった。あえて書くが、もちろんこの小説が恥ずかしいわけでは決してない。

それとは別に、僕は今猫を飼ってる。

昔の自分には無かった要素で、だからこそこの本に描かれている猫への偏見や猫エイズなんかの病気に対する人々の理解や、野良猫との接し方なんかがいかにも昔の話で、それが古い話だとわかるくらいには猫のことが分かった気になっている。

逆に、猫のことを何にも知らなかった購入時、一体自分はどういうつもりでこの本を読んだのだろうか。この人の本には猫が頻出するので、改めて随時読み返す必要があると感じている。

なんなら日記に見えなくもないくらい、ストーリーも、山も谷もなく、スパッと適当に切り取った日常のある地点からある地点までの記録に見える本作は、しかし物言わない猫に人格(猫格?ニャン格?)を見るとすれば小説だと思える。むしろ猫がいないと、人物があまりに没個性というか凡庸すぎて成立しないのではないかと思う。

小説とは何か、改めて自分の中で考えるきっかけになる、新年にふさわしい読書だったように思う。