ひろさんのココンところ

いまだ人生に惑う事ばかり

もう完璧だ

こいつが発売日前日に届いた。

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ザ・クロマニヨンズの最新シングル。

『あいのロックンロール』カップリングは『SEX AND DRUGS AND ROCK'N'ROLL』。

いやはや何というか。

これをアルバム先行シングルとして出してくる凄さよ。

まぁ、聴いてみ? 悩みなんか一発で吹っ飛んでくぜ?

二曲あわせて5分18秒。

 

最強で最高だよ。

 

改めて書く。

もう完璧だ。

 

蛇足:「もう完璧だ」は、『うしおととら』の主人公のセリフ。ラスボスとの戦いを前に、それまでに出会った全ての人、死んでしまった人でさえ皆が助けにかけつけ、主人公を励ますメチャクチャ熱い場面で主人公が発した一言。

今回確認したところ、案外小さなコマで驚いた。こんなコマをいちいち覚えているあたり、ガキの頃の記憶とは恐ろしい。

 

 

 

転がる石に苔はつかないようだ

今年、好きなアーティストが次々と亡くなったことで凹んでいた僕は、最近聴いてなかったCDまでひっぱりだしては物寂しい思いに浸っていた。

 

そんな時である。こいつが発売されたのは。

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THE ROLLING STONES 『HACKNEY DIAMONDS』

ヤベェよ、、ヤバすぎるよ。

何がってさ、メチャクチャかっちょいいんだよ!!

マジでこれは、最古参のレジェンドバンドの記念碑的アルバム、ではなく、現役バリバリのロックバンドが2023年にぶち込んできた最強のロックアルバムとして聴いてほしい。

このかっこいい楽曲たちを作れる事も、演奏出来る事も、もちろん素晴らしいのだが、何より素晴らしいのは、この楽曲たちが素晴らしいと思える感受性だと思う。

自分と比べるのはおこがましいが、だんだんパンクロックが聴けなくなってきたんだよな。これはもう、単純な歳のせいだ、と思ってたんだが、はるか年上のジジイ(失礼!)が、バリバリのパンクをやってた。

そう、アルバムの中にはパンキッシュな曲もあるんだ、よりによってその曲をポール・マッカートニーがベース弾いてんだぜ。しかもファズでバリバリ音割れてんだよ。

バラードもあり、非常に聴きごたえのある一枚だった。

転がる石に苔はつかない。

ロックンロールイズノットデッド。

 

ちなみに。

僕はストーンズに関しては完全ににわかだと思ってたんだよな。初期の頃のアルバムとか一枚も持ってないし、ベストアルバム的なやつですら持ってない。

と、思ってたんだが。

今回のアルバムが実に前作から18年ぶりのオリジナルアルバムで、その前作が『A biggerbang』で、その前が『BRIDGES TO BABYLON』、その前が『VOODOO LOUNGE』……

 

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やべ、持ってたわ!

 

この4枚持ってるだけで、実に30年分のストーンズを押さえたことになる。

やべ、にわかじゃねぇわ!

 

よくよく考えると、人生で最初に買った洋楽がガンズアンドローゼスの『SYMPATHY FOR THE DEVIL』だった。

なんとまぁ。

 

とにかく。

いくつになってもロッケンローはサイコーだぜ、イエー!

 

ただのいちファンとして

前回の投稿を見ればわかるように、あの後、すぐに上げるつもりの記事があったんだ。

でも、マジで何も手につかなくなってしまった。

 

友人からメールが来たんだ。

 

チバユウスケが死んだ、と。

 

ショックじゃないわけがない。唯一無二のロックボイスは憧れだった。綺麗な声、美しい声の人はいっぱいいても、こんなロックを歌う為に生まれましたみたいな声の人他にいないだろ。こんな長い経歴でこの人がファルセットで歌ってる曲なんか一個も浮かばんぞ。

 

ミッシェルの曲ももちろん大好きだけど、ロッソの『シャロン』は必ず冬にカラオケに行って歌ってた。

バースデイの曲も『アリシア』とか『何故か今日は』とか大好きな曲はいっぱいあるんだけど、『カレンダーガール』って曲がやけに心に刺さってる。

 

ただただ、残念だった。そして、毎度ながら、死んでから改めて、ご無沙汰のCDを引っ張り出して聴いている自分がたまらなく嫌だ。

 

ご冥福をお祈りします。あなたのロックが、あなたの声が、大好きでした。

 

亡くなったのが11月26日だったらしい。

ふと、思う。

チバさんは、ストーンズの新譜を聴いたのだろうか。

 

 

12月になってしまった

早い、早すぎる。

まだまだやり残した事がいっぱいあるのに。

読みたい本、聴きたいCDは山になっているのに。

 

今年は多くのミュージシャンが亡くなったことによる喪失感で心がざわつく一年だった。来年以降も誰かは必ず死ぬことではあるがせめてあと1ヶ月は何事もなく過ぎていってほしい。

 

話変わるが、毎年Spotifyがこの時期になると一年間のまとめをお知らせしてくれる。2年前は加山雄三真島昌利の曲を歌った『いこうぜBABY』が一番聴いていて、去年はザ・リーサルウェポンズが一番に上がってきて、ビビったけど面白い結果だと思った。

今年は上位5位まで紹介する形式になっていた。どれどれ……

一位:hide

二位:LUNA SEA

三位:king knu

四位:THEE michelle gun elephant

五位:laputa

 

。。。時が、止まって、いる。。。?

king knuがなかったら、完全に90年代で止まったままや。

一番再生していた曲はhideの『ever free』だと。

いやいやいやいや、いかんぞこれは。

新しいバンドを聴かねば。新しい風を。

 

そう思っていた僕の前に現れたのは、、、

最高齢の転がる石だったのだ。

 

長らく都会に行かなかったら

今、僕は山の奥側に暮らしている。海側の都市部には、コロナ禍になってから一切行っておらず、親戚の葬儀の為に仕事終わりに山を一度降りた時など、異世界に迷い込んだような気がして目眩がした。

その時は通り過ぎただけだったのだが、先日、仕事に関わるある講習会に参加する為、久しぶりに都会に行ったのだ。

5年ぶりくらいだろうか。

この前通り過ぎた時は夜の飲み屋街を通過したから、活気に溢れている気がしたのだが、平日の昼間の都会は残念な印象しか僕に与えてはくれなかった。

まず、すれ違う人はほとんど中国の人だった。別に中国がどう、という事ではなく、自分のいる街じゃ無い気がしてしまったのだ。

そして、かつて行きつけだった本屋、CD屋、服屋、古本屋などはほとんど無くなっていた。その代わりに別の何かになっていればまた違ったかもしれないが、ガチャガチャだけが並んでいたり、シャッターが降りたままになっていたりと、なんとも寂しい。

なにせ、人がいないのだ。

駐車場の多さも目立ったが、昔は上限なしの駐車場だらけだった気がするのだが、大体1000円前後の上限で停めれるようになっていた。

行きつけだった喫茶店がまだ残っていて、入り口側のカウンターにマスターが座っているのが見えたのと、本当なら用事がある楽器屋の店長が椅子に座っているのが見えた。どちらも立ち寄らずにその場を去った。

 

街が変わるのは当たり前だけど、なくなっていくのは悲しいかな。喫茶店も楽器屋もいつまであるだろうか。

さて、楽器屋には用事があるのだが、他の用事が見出せない今、次に行くのはいつになる事やら。

乱読の果てに

この前積読の話を書いたが、僕には最初だけ読んだ本や最初だけ聴いたCDも多い事に気がついた。飽きっぽい性格が災いしての事だが、結果として積み本が増える事の要因にもなっているのだろう。

だが、その副産物として、知識の数珠繋ぎが偶然、しばしば起こる。あぁ、この話はあの話と繋がるのか、となった時の興奮は他ではちょっと味わえない。

つい先日もこんな事があった。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が版によってオチが違うと聞いて、実家にあった文庫を引っ張り出してきたら、その本の最初が「やまなし」という有名な作品で、内容忘れてたから読み返した。その数日後、妻から勧められたマンガが「カワセミさんの釣りごはん」というのだが、主人公の名前がまさに「やまなし」からとっているらしい事が8巻に書いてあった。このマンガの主人公の学校の先生にシャーロキアンがいるのだが、たまたま最近新潮文庫で「ホームズの帰還」を買っていたことを思い出し、あぁそっちも読まないとな、と思って読んでるうちに、この前発売になった「黒博物館」のアーカイブに近代の、猟奇殺人を娯楽として享受し始めた英国人の話を思い出し、そっちも読み返してみると、昔読んだ「ミステリーの社会学」という新書を思い出して、今ならあの本がちゃんと読めるだろうか、と・・・。

・・・・・・

お気づきだろうか。

いつの間にか、一度読み終わった本を読み返している事に。

そりゃ、積み本が無くならないわけだよ。一冊読んでる間に何冊も読み直しが挟まってくるんだから。

ちょっとかじりの本の中にも一回読み終わったのに忘れてて改めて読んだら、既視感ハンパなくて、調べたらかつての自分が結構な熱量で感想文書いてたりしてビビる時が時々ある。ただ、自分は信用ならない人間なので、当時ちゃんと最後まで読んだのか、読んでないのに読んだフリして感想書いたか、それすらも怪しい。

 

そんな読書の仕方を、もう何十年も続けているのだ。迷路、もしくは沼にはまってしまっている感覚である。

せっかくだし、積み本、積みCDを正しく消化する事にこのブログを使っても良いかな、と思うこの頃である。

ツンドク または増大するエントロピー

自分の部屋を見るといつも考えてしまう。

 

読んでない本、聴いてないCD、手つかずのゲームの山なのだ。

いつか読む。いつか聴く。いつかやる。今買わなきゃ二度と手に入らない。そう思って毎度買っているのだが、その「いつか」は自分がその気にならないとやってこない。

分かってる。分かってはいるが、お金を出して手に入れることはなんと容易で、自分の中に取り込もうとすることはなんと難しい事か。

そして、それはどうも現代人だけの悩みではないようで。

 

宮武外骨の随筆に「骨董化した古珍書」というのがある。令和を5年も経過した今になって、この人の作品を読んでいる人が何人いるのだろうか。

とにかく、目録をみると昭和2年の作品らしい、ほぼ100年前のこの随筆の中に「ツンドク先生」という言葉が出てくる。なんと皮肉のこもった洒落た言葉ではないか。・・・いや、違うな、正直に言おう。昭和初期の言葉を新しい洒落た言葉だと思ってよく調べもせず使っていた自分に軽くショックを受けたのだ。最初にこの言葉を使い始めたのは多分大学生の頃だと思う。それまでは曲がりなりにも買った本は読んでから本棚に入れていたはずだ、そんなに金もなかったし。大学生になって悪い先輩から課題図書を読まずに読書会に出て論破してくる、という底意地の悪い遊びを教えられたせいでもある。授業の教科書も読むのが面倒だったし、英語のリーディングの授業に新潮文庫の翻訳を持っていってごまかしたりしていた。嫌な読書ならしなきゃいいのに、本だけは買って知ったかぶりしていた。

改めて「積読」をwikipediaで調べてみると、明治時代から使われ始めたこの言葉は、江戸時代からその概念自体はあったらしい。朗読・黙読・積置を三読法とする、とあるらしいが、これはさすがにおふざけがすぎる気がする。いかにも江戸時代らしいが、手に入れた本を読まない事に対する罪悪感のようなものは昔からあったのだろう。それとともに、一般人の識字率がずば抜けて高かった日本において江戸時代からすでに読書のもつ、「読みたいし、読まないといけないが読むのが辛い、面倒」というニュアンスがあったのは面白い。

世界的にも珍しいニュアンスのようで、翻訳できない世界の言葉のうちの一つとして2010年代から海外に紹介され始めた、とある。

いやはや。

骨董化、という点について触れると古本屋さんの、非常に闇の深い話になるし、大きく話が逸れるのでここでは掘り下げない事にする。

 

さて、我が家の本棚である。「ツンドク」本を手前に並べたら嫌になるくらいいっぱいある上に、確かに読んだはずの本の内容が思い出せない。もしくは、自分の記憶では400字以内にまとめられるストーリーなのに、なぜこんな分厚いんだと思う本もいっぱいある。

しかも。

最近、ケータイで青空文庫を読むようになり、電子の世界にも積み本が増えてきた。ケータイで読んだ文章は、紙以上に覚えが悪く、気がつくと同じ作品を何度も読んでしまっている。

覚えてなくて読み返している本はもはや読み終わるまで積み本と変わらない。

積み本が、増殖していく。。。

 

ただ僕はあくまでも読みたいから手に入れているので、いつか、いつかは積み本を無くしたいし、その為に、今積んである本は捨てられないのである。

あぁこの哀しきエントロピーが減少に向かう日は来るのだろうか。